江戸情緒が残る風景

寄席と東八拳(とうはちけん)


平成14年度文化庁芸術団体支援事業公演

日 時:平成15年3月28日(金)午後6:30
ところ:東京芸術劇場小ホール2
木戸銭(前売り):2000円(1500円)
出演者:
寄席の部

  桂南なん
  桂歌助
  桧山うめ吉

東八拳の部

  東水舎東八 (稗田君子)
  東水舎小柳 (石丸和彦)
  東水舎東加 (加藤まさ子)
  東水舎東和 (牛丸和子)
  東水舎東祐 (山元祐代)
  東家菓楽  (鈴木利雄)
  拳闘舎南なん(桂南なん)
  東水舎歌助 (桂歌助)
  桧山うめ吉 (東水舎うめ吉)

住  所:豊島区西池袋1の8の1
電  話:03-5391-2111
アクセス:JR、地下鉄有楽町線、丸の内線、東武東上線、西武池袋線 池袋駅西口より徒歩3分
お問合せ:落語BIZ.事務局 03-5225-9256  落語芸術協会 03-5286-0974
E-mail:info@rakugo.biz
主  催:落語BIZ.(http://www.e-warai.com/edo.htm)/S落語芸術協会 後  援:日本東八拳技睦会 協  賛:NPO江戸芸能伝承保存会、たばこと塩の博物館、新宿歴史博物館 協  力:株式会社ジーピースタジオ、有限会社大仁工務店




三代目東水舎東八よりお客様へ
 東八拳と言っても若い方はご存じないでしょうが、ジャン拳の
仲間と聞けば親しみを持って頂けるでしょう。二人が相対し調子を
とりながら両手でキツネ、庄屋、鉄砲の型を作って出します。キツ
ネは庄屋に、庄屋は鉄砲に、鉄砲はキツネに勝つと言う三すくみの
原理はジャン拳と同じです。ただ、東八拳は三連勝しなければ勝負
がつかない。相手の心や癖を読み、さまざまな駆け引きの技を用い
る奥深い娯楽です。一説では太閤秀吉が朝鮮出兵の際、兵を慰める
ために考案したとか。真偽はさだかではありませんが、古い遊びで
す。
 私は長く花柳界に身を置き、江戸の東八拳の正統な技を身に付け
た生き残りの一人です。私が神楽坂の置き屋に奉公にあがったのは
昭和9年、十一歳の時です。当時、東八拳は踊りや長唄と同じよう
に不可欠な芸事の一つでした。一般の人の間でも盛んで、全国に何
十という会派が競い合い、正式な大会も開かれていました。私の東
八拳の師匠の教えは厳しく、殊に拳を綺麗に打つことにうるそうご
ざいました。まずきれいに打つ、それから勝つこと、そして楽しく
なければいけない。この三つの心得を叩きこまれました。勝負事で
あれ、勝者が敗者を不快にするような勝ち方は粋ではありません。
腹の中でこんちくしょうと思いながらも、顔はにこやかに打つのが
いいのです。
 戦前はいなせな拳を打つ方が大勢いましたが、そういった粋筋が
世間から消えるにつれ、東八拳もすたれていきました。戦後の経済
復興とともに、お座敷で打つ客も芸者もほとんどいなくなりました。
高度成長のあわただしい社会の空気が遊びの質を変えたような気が
します。私も昭和35年に独り立ちして神楽坂に割烹を構えて女将と
して忙しく立ち働くうちにいつしか拳どころではなくなっていきま
した。
そのことを悔やんだのは平成7年に店をたたんでからです。たまた
ま弟子になりたいという人が現れ、初めて大切な伝統が失われつつ
あることに危機感も持ちました。
 私の師匠が亡くなる直前、初代から伝わる立派な軍配を私が預か
りました。東八拳の正式な試合では小さな土俵をはさんで拳士が向
かい合って座り、軍配を持った行司が勝負を判定します。その時は
形見分けかなととしか考えませんでしたが、思えば三代目を継いで
欲しいという遺言だったのでしょう。他の家元の方からの薦めもあ
り、平成10年に三代目東水舎東八を襲名いたしました。襲名披露の
ため、一年かけて東水舎の土俵を新たにつくりました。国技館の土
俵と伊勢の内宮の屋根を親せきの宮大工とともに見に行き、新しい
白木の土俵が出来上がりました。
 現在、東京の東八拳の家元は十あると言われています。ここ数年
で高齢の家元が次々と亡くなり、実際に弟子をとって活動している
のは半分ほど。技も失われつつあります。正式な大会での競技は
「正拳」。その他、例えば「軟拳」はものすごい速さで拳を連打し
ますが、もはや打てる人はおりません。「一本間」と言う独特の間を
取る拳の打ち方もこなせる人は数人しかおりません。今、その技を弟
子に教えているところです。次の時代へ東八拳の命を受け継ぐ若い
方がきっといると信じております。
 この度、この会を催すにあたっては、弟子に寄席芸人がおり、彼
らが所属しております(社)落語芸術協会のお力を借り、実現する
事が出来ました。江戸文化である東八拳を広く知って貰える機会を
得、うれしうございます。大勢様ご光来賜り、江戸文化の一つ、東
八拳をご覧頂けたら幸でございます。



お祝い

この度は、「寄席と東八拳」の会、開催まことにおめでとうござい
ます。東八拳が江戸開府400年に当たる今年、江戸の華=東八拳
を広く紹介できた事は同じ拳を打つ者として嬉しいかぎりです。東
八先生は正式な拳を打てる数少ない拳士で、その芸を熱心にお弟子
さんを指導していらっしゃる家元です。現在東八拳を打てる人は日
本中で何人いるでしょうか?100人以上はいそうですが1000
人いるでしょうか?日本人の多くは「東八拳」と言う言葉も知らな
いでしょう。昔の事を詳しく知っている方でも言葉や原理は知って
いても試合に出て実際に打てる方はそうはいないと思います。江戸
時代には狐拳、庄屋拳などとも呼ばれ大人の娯楽として誰もが遊ん
だゲームです。今の時代、ジャンケンを知らない人がいないのと同
様に東八拳を江戸の庶民は皆知っていました。ただ、ジャンケンの
手軽さに比べ、両手で拳を出すこのゲームはその人の技量により、
強い人弱い人がはっきりします。それから一つの芸事として、花柳
界のお遊びの拳から分かれて相撲に準じ、礼節を重んじ、大関、横
綱をめざす様になりました。代々その家の芸を受け継ぐ家元制も起
りました。詳しくは拙著「江戸の花・東八拳をお楽しみ下さい」
(松本吉弘著)か、ウィーン大学教授のセップ・リンハルト先生の
「拳の文化史」をお読み下さい。当会のホームページ http://home
page1.nifty.com/tohachi/をご覧頂くのも結構です。もっともこの
遊びは読んで理屈を知るより、実際に打って、体で覚えないとその
面白さは分かりませんが…。我が日本東八拳技睦会は関東近在の各
流派の方々の親睦団体として拳を競い合い、一緒に行事を行ってお
ります。流派名は五十音順に東家、拳闘舎、草加連、大王、中王、
東谷舎、東水舎、藤龍舎、龍王連、龍魁舎です。流派によってこま
かな作法などは違いますが、春の土俵祭りや秋の番付披露などの催
しには各一門が集い、拳を打ち、お酒を酌み交わし、終日楽しんで
おります。この大きな行事の他、毎月第二、第三日曜日、西日暮里の
ひぐらしサービスセンターにて、試合と稽古をしております。学校へ
も出張して教えにも行った事があります。もし習いたい方、伝統文化
に興味が有る方、日本東八拳技睦会事務局(03−5565−526
7)までご連絡下さい。江戸の文化を絶やさぬよう、また、やりだす
とやみつきになるお金のかからない娯楽をもっともっと知ってもら
いたいと、願っております。
                日本東八拳技睦会会長 東家扇楽


番組
寄席の部    
お囃子 小森田浩子社中
一、落  語    桂  前助
一、落  語    桂  歌助
一、俗  曲    桧山 うめ吉
一、落  語    桂  南なん

仲入り

東八拳の部
司会 東水舎小柳

一、口上 東水舎東八

一、打ち込み  行司 東水舎東八
 東 拳闘舎南なん 西 東水舎歌助 柱 東水舎東加 東水舎東和 東水舎東祐 桧山うめ吉

一、正拳 勝負  
 東 東水舎東和 西 東水舎東祐  

一、正拳 勝ち抜き 
 東 東水舎東加 西 東家菓楽 勝ち手と拳闘舎南なん

一、正拳 飛び入り
 東 桧山うめ吉 西 お客様

一、目隠し拳 
 
一、一本間拳(参考実演) 
 東 東水舎東八 西 東家菓楽

一、納め 
 東 東水舎東加 西 東水舎歌助 行司 東水舎東八 柱 拳闘舎南なん 東家菓楽 東水舎東和 東水舎東祐


出演者 
桂 南なん
拳名:拳闘舎 南なん
1977年4月 二代目桂小南に入門 
1991年5月 真打昇進
拳歴:10年
1993年 拳闘舎闘楽に入門
     名前を拳闘舎南なん

桂 歌助
拳名:東水舎 歌助
1985年12月 桂歌丸に入門 
1999年5月 真打昇進
拳歴:6年
1997年  東水舎東八に入門
     名前を東水舎歌助

桧山 うめ吉
拳名:東水舎 うめ吉
1996年   桧山さくらに師事
2000年2月  ソロ活動開始
拳歴:4ケ月
2002年12月 東水舎東八に入門
      名前を東水舎うめ吉

東水舎 東八
本名:稗田 君子
拳歴:63年
1940年 二代目東水舎東八に入門
    名前を東水舎小雀
1950年 東水舎小柳に改名
1998年 三代目東水舎東八を襲名

東水舎 小柳 
本名:石丸 和彦
拳歴:8年
1995年 東水舎東八に入門
    名前を東水舎小柳丸
2001年 東水舎小柳を襲名

東水舎 東加
本名:加藤 まさ子
拳歴:7年
1996年 東水舎東八に入門
    名前を東水舎てい子
2001年 東水舎東加を襲名

東水舎 東和 
本名:牛丸 和子
拳歴:4年
1999年 東水舎東八に入門
    名前を東水舎加寿緒
2001年 東水舎東和を襲名

東水舎 東祐 
本名:山元 祐代
拳歴:4年
1999年 東水舎東八に入門
    名前を東水舎祐代
1998年 東水舎東祐を襲名


東家 菓楽
本名:鈴木 利雄
拳歴:5年
1998年 東家司楽に入門
    名前を東家菓楽




東八拳の土俵について 
この土俵は神明作り、尾州桧で出来ております。高さは170センチ。
最近は背の高い方が増えてきましたので、大きい拳士でも土俵を挟んで
向きあって拳を打てるように、他の家元の土俵にくらべて高くしてあり
ます。幅が90センチ、重さが約20キログラム。持ち運ぶのに便利な
様に、土台と柱、屋根が取り外し、屋根は二つ折りに畳めます。
私は神社やお寺、数寄屋造りなどの木造建築をなりわいとしております
宮大工です。代々気仙大工として、平泉の中尊寺等を手がけた東北の宮
大工の流れで、京都の流派とは違います。東水舎東八先生とは親せきに
あたり、襲名の為、拳の土俵を造って欲しいと頼まれた時は困りました。
まったく初めての仕事でした。大きい神明造りは慣れておりますが、その
ままの形で小さくする訳にもいきません。実際に拳を打つ人が使いやすい
物にしなくてはいけませんし、場所を変えて使うものですから軽く、持ち
運べる物でないといけません。一からやり始めました。両国国技館と飯田
橋の大神宮を先生と一緒に見に行き、相談を重ね、一年がかりで作りまし
た。
この土俵は伊勢の内宮を基にしております。勝男木(かつおぎ)は屋根の
上に五本横に並んでいる丸い棒で、格によって本数がきまります。一番格
上が五本です。屋根の横に角のように四方に突き出ているのが千木(ちぎ)
といいまして、四角い穴を風が通る時のヒューヒューと言う音で天気をみ
たそうです。千木のつきだし方が上を向いてるのが男、横を向い
ているのが女を表します。お伊勢様は内宮が男、外宮が女。内宮を基にし
ておりますので、上を向いている形にしてあります。屋根の下に横に突き
出ているのを小舞(こまい)と申します。これは魔よけを意味するそうで
す。
柱についてですが、現在の丸太はろくろを使って円い柱を作りますが、私
どもの仕事は昔ながらの手法で木を削ります。お社はやりがんなで削りま
す。それに見立てた小さい特殊なかんなを作り、この柱は縦に削りました。
縦に縞が残ります。見る人が見れば、手間をかけているのが分かります。
微妙に柱の中程を太くしてあります。相撲で赤ぶさ下などといいます。只
今の国技館はお客様に土俵が良く見える様に屋根を天井からつるして、柱を
とっています。房は土俵の四隅の上にぶら下げてありますが、本来は房は
四本柱に巻き付けていたものだそうです。東八拳でも紫と赤の房を柱に付
ける事を聞き、巻き付けた後、房が柱の中程でとまり、滑り落ちないよう
にしました。
屋根は紅白の桧、我々の符牒で源平っていいますが、赤と白の板が交互に
張ってあります。金具は知り合いの銅工屋に頼み、銅を金メッキした金具を
取り付けました。これも全て手作業です。土俵の下の側面に紋をつけました。
紋帳にはないものです。東八拳の軍配の中に先生の家紋のかたばみを入れま
した。平成10年に先生の襲名と一緒に土俵のお披露目も行われ、それから
五年の間、これを使って真剣勝負が何度も行われてきました。拳士の皆さん
が気持ち良く打って貰える物が出来たと喜んでおります。また、今会はお
披露目以来の大勢様に土俵を見て頂く機会です。先生から「土俵のお話し
を舞台でお客様にして欲しい」と頼まれましたが、それは辞退させていた
だく代わりにこの様な文を書きました。代々受け継がれていく芸は東八拳
も大工も変わりがございません。江戸四百年の今年、拳の土俵を大
勢の方に紹介できて嬉しい限りです。これからもっと東八拳を愛好する方
が増え、この土俵が使われる機会が多くなる事を願っております。
                有限会社 大仁工務店社長 鈴木康生




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